【読者の声】台風の思い出・行ってきました・エトセトラ

「さわイン」209号にお寄せいただいた152本のお便りから、41本をご紹介いたします。

■特集/台風の思い出~そういえば、鹿児島旅行で台風のため屋久島に行きそびれ、鹿児島港そばの道沿いが打ち上げられたクラゲだらけだったのを思い出しました。

◆台風の思い出とは、私が小学校4、5年生の夏休みに家族で長崎旅行に行きました。台風接近のニュースを聞きながら、車でホテルを出ると、4~5台前の車に電柱が倒れてきて、恐ろしくなりホテルへ戻りました。平和公園や浦添教会などは、結局、観光できませんでした。台風の怖さを実感した旅行でした。今宿HYさん

◆60年前の東北の港町では、台風が来る前に雨戸を板止めし、ろうそくと懐中電灯、おにぎりを用意しました。5歳ごろに家族そろってちゃぶ台に座っていたら、急に停電になりました。用意していたお菓子に思わず手を出したらぱっと明かりがつき、すごく恥ずかしい思いをしたことが忘れられません。あの頃は何かあるごとに家族全員そろうことが多かったように思います。今宿HKさん

◆九州出身です。当時実家は木の雨戸で、それを木の棒でしっかり突っ張るのですが、それでもガタガタすごい音がしていました。長時間の停電も毎度のことで、仏壇から燭台を持ってきてその灯りでご飯を食べたりお風呂に入ったりして、非日常に少しわくわくしていました。懐かしい思い出です。こちらではまだ強い台風に遭遇したことがないせいか構えているとちょっと拍子抜け…でも、被害がないのが一番ですね! 今宿町KNさん

◆子供の頃、台風による床下浸水の被害が時々ありました。翌日、台風一過の庭に即席の池ができ小魚が数匹チョロチョロしていました。大人達の困惑をよそになんとなく楽しかった思い出です。金が谷KNさん

◆もう55年ほど前の思い出ですが裏が川で大雨が降り続くと氾濫しそうでゴーゴーと聞こえるほど勢いよく流れていました。いつ崩れてくるか夜も眠れないほどの記憶があります。きっと両親は寝ずに対処を考えたと思います。早めに父は雨戸に板を打ち付け私も濡れがら手伝いました。準備もしっかりしていました。しばらくして護岸工事をしてくれほっとしました。今では強風や豪雨予報が出れば家の周りの点検を怠りません。笹野台YHさん

◆まだ小学生だった頃、台風がくるとよく停電になった。外は暴風雨で荒れていたが、家の中はほの暗いろうそくの光を囲んで家族が肩を寄せあって過ごしたものだ。日常とは違う異次元の世界みたいで、不謹慎だが子供心にワクワクした思い出がある。今でも台風というとあの家族と過ごしたろうそくの明かりを思い出す。だから、わが家はろうそくと懐中電灯は必携だ。笹野台SSさん

◆子供の頃は鶴見川近くに住んでいたことから台風が大雨による氾濫にはいつもびくびくして暮らしておりました。最も大きな浸水は約2mの高さになったこともありました。この時は数日間、避難生活となりました。水が引いた後には畳、家具、など全て使用できなくなってしまったばかりか、当時はトイレが溜め桶のため大変不衛生でした。その影響か高台に住宅をかまえることを望み現在は安心して暮らせるようになりました。笹野台NKさん

◆小学生の頃の台風は忘れられません。爆発のようなカミナリの音、雨風も強く、家も揺れて…その時は一人で家にいたので、本当に怖かった…兄が帰宅した時、ほっとしたのを覚えています。遠い昔の記憶なのに、子供の頃の強烈な出来事は忘れないものですね。笹野台TYさん

◆学生の頃は台風が来ると休校にならないかなとワクワクしました。今は台風が来た位では会社は休めないのでツライだけですね…。笹野台KSさん

◆生きていれば130歳を超える祖父は台風が大好きでした。子どもの頃に台風は怖かったので、なぜ好きなのか全く理解できませんでした。何かの養生をする訳でもなく、ラジオからの台風情報を聞いて楽しそうにしているのです。88歳で亡くなった後、祖母から聞いたのですが、台風は自然現象なので運に任せるしかなく、家族に不安を与えても良いことがないので、空元気を出していたようです。今でも台風が来るたびに、あの優しかった祖父の笑顔を想い出します。中尾STさん

◆我が家では台風予報の段階で排水口にゴミがつまっていないかその都度必ず見回ります。又、庭に水たまりが出来そうですと排水マスへ導水路を作り水たまりがおこらない様に確認しておきます。中尾YOさん

◆両親は九州出身で、台風の経験は随分あったようで、いまは亡き父が「台風が上陸すると、平気でタンスが走っていくよ」と話していました。かくいう私自身も、小学校低学年のとき、東京大田区の小さな川のそばの家に住んでいて、床下浸水したとき家中の荷物を高いところに移した後、玄関で水位の行方をわくわくしながら(!)見ていた記憶があります。そればかりか、その数年後、世田谷に引っ越し、今度は家のトタン屋根が台風の突風でベロリと剥がされました。母親と私しかいなくて、母親がオタオタしていたのを覚えています。なぜか私は比較的冷静で、2階の兄の部屋の荷物を、さっさと1階に下ろすように母に指示していました。修復は、剥がれてもつながっていたので、大工さんにふたをするように簡単に元通りにしてもらえました。中沢YTさん

◆以前盛岡から帰る日に台風の影響を受けて新幹線が大幅に遅れました。何とかその日のうちに帰る事が出来ましたが、やはり疲れましたね。中沢AKさん

◆高校1年の9月に伊勢湾台風に遭いました。自宅は床上浸水、瞬間最大風速70メートルの風の被害は大変なもので、隣町でもたくさんの死者がでました。しばらくは近鉄電車も止まり、通学も出来なくなりましたがやっと学校が再開でき登校すると、同級生死亡の悲しい知らせも待っていました。畳が無くなった部屋にゴザを敷いて、ローソクの明かりでしばらく過ごしたものです。その後は全国各地からいろいろな救援物資が届き、配られた白いシャツを着て学校に通った事を思い出します。自分が大人になって思うことは、困ったときにこんなにも迅速に又たくさんの助けをいただき相互扶助の大切さを学んだことと、私たち子供や父親が社会へ出て行った後、手が付けられないほど荒れた家の片づけを母親一人でやってくれてどんなに大変だった事か今でも思うと胸が痛みます。東希望が丘HAさん

◆「台風の思い出」今はもう天国にいる母ですが、台風のたびに窓に板をカナズチでうちつけていました。父はそばにいても何もしない人でした。母は強しです!ちなみにわたし(ボク)は率先して雨戸を閉めたり、植木バチを移したり活躍しています。東希望が丘HTさん

■みんなの声/黙祷のこと~原文も再録しておきました。→★

◆「みんなの声」で黙祷のお話を読ませて頂き、私も小学生の娘に戦後70年を迎え、8月15日がどういう日なのか、亡くなられた方々へ黙祷をすることを教えました。70年という節目からか、連日TV各局で戦争の話を取り上げていますが、娘にどんな映像も目をそらさず、見てもらい、戦争の恐ろしさ・命の尊さを理解してくれたと思います。東希望が丘KDさん

◆今回、黙祷の話が載っていましたが、「お盆」のことを伝えるのもなかなか難しかったです。死んだ人が帰ってくるってどういうこと?5歳の息子に色々聞かれてタジタジでした。中尾TOさん

◆今回のみんなの声にはとても共感しました。まだ子供が小さいのですこし先の話にはなるかと思いますが、東北の震災だけでなく広島、長崎、沖縄 旅行で訪れた際にも伝えていかないといけないなと思いました。笹野台ISさん

★夏休みです。今年は、東北の震災地を見てこようと思います。きっかけは、今年の3月11日。小学生の息子に「小学校でも今日、黙祷した?」と聞いたら、 「したよ。した、した。でも、なんで黙祷しなきゃいけないの?」の答え。「亡くなった方々に、敬意と哀悼の意を示すんだよ」と言っても小学生の我が息子には通じない。確かに、黙祷しても生き返ってくれるわけではないし、そのことで何か生まれるわけでもない。「無念ながら亡くなった方々に心を向けること」「今生きていられる幸せに感謝すること」は何となくわかるけど、それが、「黙祷」につながらない息子。何となくわかって、黙ってしたがってくれる子ならいいのですが、うちの息子はそうはしないタイプ。現場にいけば、何かを感じてもらえることがあるかも。そう思って、連れていくことにしました。「みんながするから黙祷する」のではなく、来年の3月11日には「自分なりの意味を込めて黙祷する」ようになってくれれば。私自身もいろいろと感じることがあるはず。20年近く前、25歳の若さでがんでこの世を去った学生時代の友人のお墓参りもしてこようと思います。東希望が丘KKさん

■美味しい寿司・うなぎ店/「教えてあげる」のこのミニ特集は、好評でした。

◆今月号に載ってた大和の大乃寿司は私もよく行き12貫1500円のを注文してます。ネタがよく本当においしいです。おしどり寿司もよく利用しとくにランチはおススメです。笹野台HKさん

◆教えてあげるコーナーで三ツ境駅南口側にうなぎのお店があるとの事。今度出掛けてみようかと思いました。お教えて下さってありがとうございます。笹野台HHさん

◆毎月楽しい紙面をありがとうございます。うなきの銀はたびたび利用しています。たしかに、うなぎだけでなく、楽しめるお店です。三ツ境TYさん

■教えて!&教えてあげる!/ありそうでないのが、紅葉のおすすめスポットですね。ご存じの方、お教えください!

◆早いもので、夏休みも終わりに近づいてきました。秋の紅葉を見に行きたいですが、どこかおすすめを教えて欲しいです。お願いしますっ。中沢SIさん

◆尺八を吹いてみたい方、御来室下されば、御指導いたします。童謡・歌曲・歌謡曲・地唄・筝曲等(無料です)当方、琴古流尺八師範です。金が谷YKさん

◆「教えてあげる 美味しい○○」に触発されて。一押しの美味しいケーキ屋さんは、希望が丘のサンピアです。生クリームが絶品です。東希望が丘HIさん

■行ってきました/福島へ行くことも大事な復興支援になります。

◆夏期休暇を利用して、家族で裏磐梯の諸橋近代美術館に行ってまいりました。初日は中3の娘の社会科見学も兼ねて、南相馬の「奇跡の一本杉」を見に行って、改めて津波のすごさを感じてもらおうと向かいました。常磐道を下り途中から国道6号線を北上して向かったのですが、驚いたことに道路脇は未だ「帰宅困難区域」の札があちらこちらにあり、要所には警官の姿も。改めて、復興への道のりは未だ遠いものだと感じました。今宿町MUさん

◆7/23に芸大美術館開催の「うらめしや~、冥土のみやげ展」へいってきました。谷中全生庵に所蔵されている三遊亭圓朝所蔵の幽霊画があることは圓朝祭りのおり知っており一度は見たいと思っていたところ運良くチケットが当たり女房と共に行ってきました。円山応挙や歌川国芳等の作品が見られたことは大変良かったと思っております。昼食は芸大の学食を利用できるということでためしに行ってきました。学生さんたちと一緒に食事をたのしみました。ありがとうございました。笹野台NKさん

◆先日いただいた横須賀美術館のウルトラマン展に孫と行ってきました。観音崎という場所に着くまでにのったことのないバスにのり、いい景色をながめられてよかったです。又展示も常設展など二ヶ所も見られ、たのしい時をすごせました。ありがとうございました。今宿SMさん

■エトセトラ/割愛しましたが、今宿サマーフェスタのプログラム詳細情報は良かったとの声を多くいただきました。

◆地域の情報が掲載されていてすごく役立ちます。行ってみたいお店やイベントを毎回チェックするのですが、実際に行ってみるまでには至っていないので、今の目標は「行ってみること。」です。たくさんの情報があれば選択肢も広がるので、これからもたくさん載せてください。中沢HKさん

◆HPの充実に驚きましたが、まだまだPCなどに不慣れな方もいらっしゃると思いますので、紙面もますます頑張ってください!!期待してます。中沢KUさん

◆毎月、編集者の心意気を感じ、楽しく、隅々まで読んでいます。中沢KKさん

◆市民の森の楽しみ方・活用Etc→ 私たちが住む笹野台地区は、”追分の森”・”矢指の森”や隣接する”瀬谷市民の森”など素晴らしく恵まれた環境にあります。住民の高齢化と若い世代の入れ替わりが進む中でいろいろな楽しみ方、活用の仕方があるのでは? 笹野台KKさん

◆夜や早朝には虫の音が聞こえるようになり、秋の訪れを感じますが、日中はまだまだ残暑が厳しいですね。毎日の配達お疲れさまです。子の夏休みも終盤に入りました。9月に入っても暑い日は続きますので、室内で遊ばせられる施設は、親にとってはありがたいです!!笹野台ANさん

◆この夏は本当に毎日暑いですね。夏が暑いと翌年の杉花粉の量が多くなりそうで心配です。ところで、高校野球大好きです。選手も応援団も、暑い中すごく頑張ってて、こっちにもその元気が伝わってきます。・・・さて、娘は無事に嫁に行きました。ありがとうございました。中沢RHさん

◆この1週間娘達家族8人が来ていたのがやっと帰りほっとしています。中沢KNさん

◆先日ニュータウンの夏まつりがあり我家の玄関前を毎年「子供みこし」が通るので おひねり を持って待っていました。いざ、おひねりを渡す時、「何て言って渡すんだろ~」と考えてしまいました。何ていうのでしょうか?今宿NAさん

◆私も帰省のおみやげに初めて横浜ハーバーのダブルマロンとショコラの詰め合わせを持っていきました。大変好評でした。笹野台EHさん

◆最近はネットでも、本屋さんでも、公共施設でも自由研究向けの題材が多く、便利になったようでいて、何にして良いのか、やっぱり迷ってしまいます。親子で夏休みの宿題に悪戦苦闘するのは、今も昔も変わりませんね。中沢NTさん

◆新聞大好きです。主人は毎朝“折々のことば”を読んで出勤します。天声人語は大学生の娘のお気に入りです。私は教育や生活の記事が好きです。これからも楽しみに読ませて頂きます。唯最近少し宣伝広告が増えたように感じます(ごめんなさい)中沢TYさん

◆高校野球を楽しんでいます。彼らの可能性ってすごいですね。毎回の成長、若者の可能性のすごさを感じます。東希望が丘HWさん

◆我が家では庭で数株のミニトマトを育てていますが、8月中旬の何度かの雨で、熟してとりごろの実がひび割れする被害にあっています。近くの農家の露地栽培ものも同様の被害があるようで、今年はちょっと異状のようですね。東希望が丘SMさん

◆敗戦後70年、多くの犠牲の上に今日の繁栄が有ることに改めて知らされます。孫がアメリカへ留学の為17日に旅立つが、他国の人達と多いに議論を交わし、厭戦や日本の立場、意識などを伝えて欲しいと思う昨今です。中尾NHさん